額面通り

今日はなんでも 正直に

それぞれ少しずつ異なる沢山の想い

1月27日に出された、嵐5人が書いた活動休止の「ご報告」文書をあらためて見ている。

智が「メンバー個々の思いもあります」と、翔くんが「それぞれ少しずつ異なる沢山の想いを、なんとか一つの結論へと着地させることとなりました」と書いている通り、文章には確かにそれぞれのテンションが出てるなあと思いながら、何度も何度も読んでいる。

何度も何度も読みながら、何度も何度も思う。

それぞれの想いがどうあれ、ここまでのプロセスがどうあれ、出された結論はひとつだということ。活動を休止するという事実。("真実”ではなく”事実”)。彼らが自分達で決めた答え。これが5人で選んだ”結論”なんだから、”本当はやりたいメンバーがいるのでは?”などと推し量る議論は不毛中の不毛だと思う。そんなこと考えたところでしょうがない。キックオフされた事実はもう、決められたゴールに向かってひたすらに転がるだけ。

1月27日を境に、ただ楽しかった気持ちは死んだ。

「今までと変わらず楽しく過ごしたい」「最後の日まで笑っていよう」そういう気持ちはある。それはわかる。永遠に終わらない、変わらない日々より、一日一日を大切に過ごす、すごく大切なことだと思う。尊いことだと思う。でも自分の中の素直な感情として、”ただただ楽しい”という気持ちは今はもう、ない。なくなった気持ちはもう、戻ることはないんだと思う。たとえ彼らが、何も変わらなくても。何も変わらず笑顔で過ごしていても、それを見て純粋に”楽しい”と思うことはもう、ない。

約2年かけて、感謝を伝えていきたい、と彼らはいう。義理堅いなと思う。彼らがやりたいように、やりたいことをやればいいと思う。ただ、わたしの気持ちは死んでいる。それだけのことだ。約2年かけて、さらにゆっくり死んでいく。ただそれだけのこと。